寸評 / 今季、最もエモーショナルなアニメ 『結城友奈は勇者である』
寸評 / 今季、最もエモーショナルなアニメ 『結城友奈は勇者である』
寸評 / 今季、最もエモーショナルなアニメ 『結城友奈は勇者である』
2014年秋は豊作と呼ぶにふさわしい傑作揃いのシーズンとなった。
その中でも特に「放送後に評価が上がった作品」として表題のタイトルを挙げよう。

まず前提として、少女群像劇は常に危険と隣合わせである。
それは、異なる2つの価値観を同時に満たすことを求められるからだ。

1つ目は産業性。十分なセックスアピールを備えていること。
2つ目は物語性。ジュブナイルとしての完成度を備えていること。

それら2つの両立は易からざる問題である。
前者に寄り過ぎれば「マヨの悲劇」、「鴨川の悲劇」のような惨事を催すこととなり、
一方で後者に注力した結果、「ゼノグラシア」のような扱いを受けることもある。

『結城友奈は勇者である』(以下「ゆ」)は、その難題を解くタイトルとなりえるだろうか。
上記の2項のうち、前者については界隈の紳士諸兄の評に任せるとして、
ここでは、ジュブナイルとしての「ゆ」を語るテーマとして「葛藤」という語を挙げたい。

当初、5人の少女達は「勇者」という正義の価値観を共有し、それに基づき行動していた。
だが、「勇者」としての行動は、「心身の喪失」という代償を有していたのだ。
1人ずつ、少しずつ、少女達は代償の存在に気づく。

この「気づき」、そして戦いへの躊躇が中盤のダイジェストであろう。
仲間と共有する価値観と、個々が持つ利己的な価値観、その2つ間での「葛藤」、
それをこの作品は上手くプロットに落としこんでいる。

嫌なもの、不快なものを目の当たりにして、恐怖や嫌悪を感じる、
この当然の反応が、ヒロインという存在は実に不得手である。
理想的存在であるヒロインと、現実的存在である負の感情とを重ねあわせるに際し、
それは、ともすれば滑稽に、あるいは下品に、そういった陥穽にはまりかねない。
ヒロインの危機感や不安を「上手に」描写することは難しい。

当作を「まどかマギカ」と比較する論調があるが、
特に葛藤という点について言うならば、
「まどマギ」のそれは、極端にヒステリック、あるいは諦念的なそれであって、
「悪趣味趣味」的な、オーバーでデフォルメされた葛藤であると言えるだろう。

それに対し、「ゆ」における葛藤は、陳腐な言い回しになるが、
「等身大の」それを描こうと企図したものであると言える。
実にここにおいて、「エモーショナルな」というわけである。

そのリアリティを喚起する要素とは何か、
圧倒的な説得力を持って葛藤を証明するそれこそが、「不具」である。
この描写こそが「ゆ」の白眉であるので、気になった方は是非視聴して欲しい。

今後の展開については、書籍版のスポイラー等から勘案するに、
上記の葛藤を越え、「犠牲」を選択すること、正義に殉じることを、おそらく描くのだろう。

カタルシスはストレスそのものと、その開放とにある。
残酷な葛藤について中盤で十分な描写を充てたこの作品は傑作になるだろう。
(よほど酷いオチをつけなければ)(よくわからんカラスがラスボスであるというような)

シーズンの最後を待つ時の、独特の焦燥を感じつつ、「ゆ」の大団円を祈る。

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